「記録を書かない職員」をつくっているのは誰か
― 福祉現場の記録を「作業」から「支援の作法」に変える【第1回・状況編】
福祉現場の記録シリーズ 全3回
- ▶ いまここ 第1回:「記録を書かない職員」をつくっているのは誰か(状況編)
- 第2回:「書かせる」から「記録が必要になる仕事の仕方」へ(解決編)
- 第3回:記録を、人材育成の道具に変える(応用編)
「職員が記録を書いてくれないんです」
福祉の現場に伺うと、この話をよくお聞きします。施設長さんから、主任さんから、事務長さんから。言い方は違っても、困っている中身はだいたい同じです。
書いてもらえない。何度言っても定着しない。以前にも仕組みをつくったけれど、結局続かなかった。
決められた記録が行われていないのなら、そこに指導が必要なのは、そのとおりです。そこは曖昧にしません。
ただ、私はもう一つ、別の問いも置いてみたいのです。
その記録、法人として読んでいるでしょうか。次の判断に使っているでしょうか。書いた職員に、何かを返しているでしょうか。
もし使っていないのだとしたら。職員は「書かない人」なのではなく、書かなくても仕事が回る職場で、そのとおりに振る舞っているだけかもしれません。
この記事は、記録の書き方の話ではありません。「記録を必要として仕事をしている組織になっているか」という話です。そして最後には、記録が職員とリーダーを育てる道具になるところまで、ご一緒に考えていきたいと思っています。
このシリーズで扱うこと
記録の話は、一度に全部はお伝えしきれません。3回に分けます。
| 回 | 扱うこと |
|---|---|
| 第1回(今回) | なぜ、記録が「書くだけ」になるのか。その構造を見ます |
| 第2回 | 「書かせる」のをやめて、記録が必要になる仕事の仕方に変える。具体的な手順です |
| 第3回 | 記録を、職員とリーダーを育てる道具にする。育成への広がりを考えます |
今回は、打ち手の話はほとんど出てきません。先に構造を見ておかないと、打ち手が効かないからです。実際、多くの法人で「様式を変えたのに続かなかった」が起きているのは、ここを飛ばしているためだと思っています。
この回のねらい
① 「以前もやった」の中身を確かめる ── 道具を渡すことと、使えるように育てることは別の仕事 ② 記録を使わない仕事の仕方になっていないかを確かめる ── 書かない本人だけを見ても、輪が続く理由は分からない ③ 記録する習慣を捉え直す ── 文字を書く習慣ではなく、変化を見る習慣として
「以前もやったんですよ」
記録の話になると、管理者の方からほぼ必ず出てくる言葉があります。
「以前もやったんですよ」 「何度も言ったんですが、職員がやらないんですよね」 「仕組みも作ったんですが、続かなかったんです」
これは、諦めの言葉ではないと思っています。むしろ逆で、もう手を尽くした方の言葉です。言ってみた、仕組みも作った、それでも変わらなかった。そういう経験を何度かすると、人は「うちの職員は書かない」という結論にたどり着きます。無理もありません。
そこで、少しだけ立ち止まって伺いたいのです。
「以前やった」とは、何をされたのでしょうか。
- 様式を作った
- 書くように指示した
- 提出期限を決めた
- 書かない人に注意した
ここまでは、たいていの法人でやっておられます。ここからが分かれ目です。
- 何を見るのか
- なぜ見るのか
- 何を記録するのか
- その記録を、次の支援にどう使うのか
これを、職員ができるようになるまで育てた——というところまで行っている法人は、そう多くありません。
様式を配ることは「道具を渡した」ことです。道具を渡すことと、使えるように育てることは、別の仕事です。ここが抜けたまま「書いてください」だけを繰り返すと、指示は届いているのに、行動が変わらないという状態になります。
記録が「行き止まり」になっている
職員の側から見てみます。
書きます。提出します。そのあと、どうなるでしょうか。
多くの現場では、ファイルに綴じられます。それで終わりです。次の申し送りで読み上げられるわけでもなく、カンファレンスの材料になるわけでもなく、誰かの判断を変えるわけでもない。
つまり、記録が行き止まりになっている。
これが続くと、職員の中に一つの学習が起こります。「これは、出せばいいものだ」。人は、使われないものに時間をかけ続けられません。私たちも同じだと思います。
悪循環は、こうして回る
こうして、どの法人でも似た形の循環ができあがります。
図解 1 / 状況編
注意を繰り返す輪を、断ち切る。
書かない本人だけを見ていても、同じことが繰り返されます。
読む → 使う → 返す
次の判断に使い、役立ったことを職員に返す。この輪から抜けられない
このつながりを変える
読む → 使う → 返す次の判断に使い、
どう役立ったかを職員に返す。
ここは、組織から変えられる一つの入口。書く時間・重複・入力環境も一緒に確かめます。
「提出させる」から、「仕事で使う」へ。
この輪の中で、悪意を持っている人は一人もいません。管理者は職場をよくしたくて注意していますし、職員は言われたから書いています。それぞれが正しいことをしているのに、輪は回り続けます。
誰も悪くないのに、揃わない。
そして、書かない本人だけを見ていても、この輪が続く理由は分かりません。 書く時間がとれているか、同じことを別の様式に二重に書いていないか、書いたものが使われているか——輪のどこが詰まっているかは、組織の側からしか確かめられません。
まず確かめたいのは、この職場は、記録を使わない仕事の仕方になっていないかということです。
そもそも、何のために記録するのか
もう一段、掘ってみます。
多くの法人で、記録の目的はいつのまにか「行政・監査のために残すこと」になっています。これ自体を否定はしません。残っていなければ、後から確かめることも、説明することもできないからです。
記録には、少なくとも二つの役割があります。
一つは、残して、後から確認・説明できるようにする役割です。監査や事故対応のときだけでなく、担当が替わったとき、家族に経過を説明するときにも使います。これは書いた時点で終わるものではなく、必要になったときに引き出して使うものです。
もう一つは、次の支援を決めるための材料としての役割です。こちらは、書いた瞬間がスタートです。読まれて、使われて、次の行動になって、はじめて働きます。
この二つは対立しません。同じ一枚の記録が、両方を担えます。 問題は、多くの現場で後者だけが働いていないことのほうです。残してはいる。でも、次の支援を決めるときに開かれていない。
そうなると、記録がなくても仕事は回ります。ベテランの記憶と、その場の口頭伝達と、気づいた人の頑張りで。しばらくは、ちゃんと回ってしまうのです。
利用者の変化は、大きな事件としては現れない
ここで、福祉サービスの性質を一つ確認させてください。
私たちが向き合っているのは、人の生活です。そして生活の変化は、多くの場合、大きな事件として突然現れるわけではありません。
- 最近、食事量が少し減っている
- 立ち上がるまでの時間が、少し長くなった
- 表情が、いつもと少し違う
- 特定の場面で、拒否が少し増えた
- 夜間の行動が、少し変わった
どれも、一日だけを切り取れば「まあ、そんな日もある」で流せる範囲です。実際、流しても、その日は何も起きません。
緩やかな変化ほど、日々の中では気づきにくい。 毎日会っている人ほど、そうです。少しずつ変わっていくものは、比べる相手が「昨日の自分の記憶」しかないからです。
そして、大きな変化になってから振り返ると、たいてい「そういえば、あの頃から少しずつ……」という兆候が見つかります。誰かがサボっていたわけではありません。一人の記憶の中だけでは、緩やかな変化は形にならないというだけのことです。
例えば、こんな場面です。
月曜の早番、水曜の遅番、金曜の日勤。それぞれ別の職員が「今日は食事量が少ないな」と思っていた。三人とも気づいていた。 ただ、その三つが並ぶ機会がなかった。だから「同じ週に、食事量の少ない日が繰り返されている」ことに、誰も気づけなかった。
誰の注意が足りなかった、という話ではありません。気づきはあったのに、それがつながる場がなかったという話です。ここは、個人の努力では埋まりません。
だからこそ、外に出して、並べておく必要があります。記録というのは、本来そのためのものです。
もう一つ添えておきます。「変化はありませんでした」も、確かめた結果なら意味のある記録です。 変化を見る習慣は、毎回なにか新しい出来事を報告する義務ではありません。見たうえで「今日は変わりなかった」と言えることのほうが、見ていないのに何も書かないことより、ずっと価値があります。
記録する習慣とは、「変化を見る習慣」のこと
ここが、この記事でいちばんお伝えしたいところかもしれません。
記録する習慣とは、文字を書く習慣のことではありません。変化を見る習慣のことです。
見ていないものは、書けません。ですから「書けない」の入口には、何を見ればいいのかを教わっていないという問題がまずあります。
ただ、ここは分けて考えたいところです。見えていても、それを言葉にしたり、入力したりするところで止まる人もいます。 気づいてはいるけれど、どう書けばいいか分からない。書く時間がとれない。入力画面が使いにくい。会議で言い出しにくい。
つまり、「見る力」と「記録にするための支援」は別物です。前者は問いかけで育ちますが、後者には項目の設計や、話したことを記録に変える方法が要ります。その具体は第2回でお話しします。
日報も、同じように捉え直すことができます。
「今日何をしたかを書く紙」ではなく、
- やってみて、どうだったか
- 何が変わったか
- 何が気になったか
- 次の職員に、何を伝えるか
を残すもの。こう置くと、日報は作業報告ではなく、次の人への引き継ぎと、自分の振り返りになります。
「考えない職員」も、構造的につくられている
以前、「なぜ『考えない職員』が生まれるのか」という記事を書きました。考えるというのは、目の前の出来事(具体)と、そこに共通するパターン(抽象)を行き来することだ、という話です。
あの記事でお伝えしたかったのは、「考えない職員」は、その人の資質の問題ではなく、構造的につくられている可能性があるということでした。一つひとつの出来事に個別対応し続ける仕事の仕方が続けば、抽象に上がる機会そのものがありません。機会がなければ、力は育ちません。
記録は、この構造のちょうど真ん中にあります。
記録を読まない。次の判断に使わない。書いた人に返さない。何を見ればいいかを教えない。何のために記録するかを伝えない。
これが揃うと、職員にとって最も合理的な行動は「言われたときだけ、それらしく書く」になります。考える必要がない仕事の中で、考える人は育ちません。
ですから、問いはこうなります。
「考えない職員がいる」のではなく、「考えなくても仕事ができる仕組みを、組織がつくってしまっていないか」。
理由が組織の側にあるなら、組織の側から変えられます。第2部は、その話です。
第1回のまとめ
- 「以前もやった」の多くは、様式を配り・指示し・期限を決め・注意したところまで。何を見るかを育てたところまでは行っていないことが多い
- 記録には「残して後から確認・説明する役割」と「次の支援を決める役割」がある。この二つは対立しない。同じ一枚が両方を担える。 多くの現場では後者だけが働いていない
- 書かない本人だけを見ていても、輪が続く理由は分からない。 時間・重複・入力環境・使われ方まで、組織の側から確かめる
- 気づきがあってもつながる場がなければ、変化は形にならない。「変化なし」も、確かめた結果なら意味のある記録
- 「見る力」と「記録にするための支援」は別物。前者は問いかけで、後者は項目の設計や方法で育てる
- 「考えない職員」も「書かない職員」も、構造的につくられている可能性がある
次回予告
第2回:「書かせる」から「記録が必要になる仕事の仕方」へ
第2回では、業務日誌・申し送り・委員会・カンファレンス・ミーティングに絞って、何を残すかの決め方/話したことを記録に変える方法/AIへの具体的な指示文と人が確認する工程/従来の議事録との違いまで、手順としてお話しします。個人情報の扱いについても触れます。
次回までに、一つだけ確かめてみてください
直近の会議の議事録を1枚、開いてみてください。 そこに「次に誰が、いつまでに、何をするか」が書いてありますか。書いていなければ、それは職員の書き方の問題ではなく、会議の設計の問題かもしれません。
今回の内容について
「うちも、この輪が回っている気がする」——そう思われたなら、その感覚がいちばんの材料です。
どの法人でも、記録が使われなくなる理由は少しずつ違います。会議の持ち方なのか、様式なのか、重複なのか、フィードバックの仕方なのか。どこが詰まっているかを一緒に見てみることはできます。
まとまっていなくて大丈夫です。言葉にならないモヤモヤのまま、お聞かせください。
関連記事
- 給与制度改訂|福祉施設の賃金・処遇改善の設計
記録と同じで、給与も「決め方」が共有されていないと納得が生まれません。福スパの給与制度改訂の進め方をまとめています。 - なぜ「考えない職員」が生まれるのか ― 福祉現場に足りない「具体と抽象」の視点
「考えない職員」も、その人の資質ではなく構造的につくられている可能性がある——という見方を書いた記事です。本シリーズは、その構造の真ん中にある「記録」を扱っています。
